「赤絵鶴の巣籠図石瓶、夜学式染付赤絵盃洗、赤青五彩花弁名花十友図花瓶等は白磁の色が冷たいほど白く、伊万里の青みがかったやや暖かい感じの白とも違い、絵付も京焼以上に精細なタッチで沈んだ色調を特色としている。世に多い半磁器式の色絵ものと違い、これこそ磁器中の磁器というところが出石焼の特徴」であるといわれています。

白磁茶碗と染付天目台
(文化3年/久美浜町宝珠寺蔵)

創始期の伊豆屋窯作品

京風を中心に丹波系が混入した雑多な趣味的陶器であったと推測されます。

天保期から幕末

倣製伊万里(伊万里焼を手本にこれにならってつくる)の風が強く、染付け雑器が主流でした。
花器・香炉・大小皿・鉢・茶碗・徳利・盃台・猪口などの呉須染付けの日用雑器、精緻な染付け、白磁、植木鉢やすり鉢などの土物雑器など

明治9年(1876年)盈進社の設置以後

江戸時期の出石焼き(角岡鶴一氏蔵)

江戸時期の出石焼
(角岡鶴一氏蔵)

純白の磁器が出石焼の中心となりました。
盈進社:輸出を意識した欧風化した作品やフランスのセーブル磁器の模様を取り入れた斬新な作品もありました。花瓶・虫籠・燭台など

明治以降

盈進社を除くほとんどの窯では、大衆的日用雑器を量産販売していました。
日常食器:大小皿、鉢類、猪口、湯呑、石瓶、徳利、盃台
大型製品:植木鉢、手水鉢、火鉢
工芸趣味品:花瓶、香炉、置物、額皿
文房具:燭台、油壺、硯、水滴
大正・昭和初期

上物(花瓶等の美術品:原石は柿谷)と並物(雑器:原石は飛谷)がつくられていましたが、日用品で安価な並物が中心でした。
酒店の配達用の大徳利(3升)、酒の燗用の中徳利(3合~1升)、土瓶主に山陰・北陸の漁村に出荷。

第2次大戦の末期

金属品の代用品として手榴弾やボタンなども作られていました。

近年

近年の典型的な出石焼は、白磁の表面を削って菊の花などを掘り込んだ花器や茶器などです。この白磁彫刻は、ろくろ成形のあと1週間ほど乾燥し、素焼き前に熟練の陶工によって彫り込まれます。
また色釉や染付けなど多彩な器も生産されています。

主な製品:花器、茶器、装飾品・置物、美術工芸品など

白磁籠目瓶(出石神社所蔵)

白磁籠目瓶(出石神社所蔵)

明治以降の出石焼の中には、磁胎に彫刻の飾り花や、人物像を彫りつけたり、透かし彫りをしたり、細工の細かい花瓶、置物が作られました。中には金襴手をほどこした華麗な花瓶等もあります。また染付や赤絵などの陶器や半磁器なども生産されていました。
また、純白の生地がそのまま生かされた硬質の電気絶縁硝子は品質が良く上質のもので、昭和に入り生産されていましたが、近年では他の素材の開発が進み、出石焼の硝子は製造されていません。

出石陶石

焼成後の素地白色度が高い良質の陶石で、柿谷石、谷山石、飛谷石などが知られています。
主な構成鉱物:トスダイト、石英、絹雲母(せりさいと)、カオリナイト
「白過ぎる白色」が出石原石(柿谷陶石)の特徴です。

焼物の中の出石焼の位置づけ

染付牡丹文蓋付鉢

陶磁器は、土器、せっ器、陶器、磁器の4種類に分けられ、出石焼は、磁器に分類されます。
磁器は岩石を砕き、その粉粒を練りこんだ陶石を原料とし、石焼きとも言われます。それに対し、陶器の原料は粘土であり、土焼きとも言われます。
現在の白磁の出石焼は、明治に入って盈進社の創業に始まったもので、それ以前の江戸時代のものは、染付磁器を主にしており、古出石焼と呼ばれています。

出石焼と皿そば

城下町出石には40数軒のそば屋があります。「挽き立て、打ちたて、ゆがきたて」にこだわった手打ちそばを、小皿に盛ってお客さまにお出しします。
江戸時代に、信州上田の城主仙石氏がお国替えの時にそば職人を連れてきてから300年。
いつのころからか、地元の出石焼の小皿、そば徳利、そば猪口を使ってそばを提供するスタイルが定着しました。(明治に入ってからといわれています。)